葉山を継ぐStory
葉山御用邸はご近所さん 打鯖地区の少年時代
守谷 一男さん
葉山町一色・大正15年生まれ
photo by志津野雷
ベッドから起き上がると痛みにお顔を歪められながらも、少年時代のお話になると目を輝かせて生き生きと語ってくださいました。
photo by萩原美智
現地で説明したいとお声かけいただき、ご一緒に一色海岸を散歩しました。海を見つめる横顔がとても素敵でした。
少年時代、御用邸に隣接する打鯖地区に暮らした守谷さん。昭和20年に19歳で出征するまで、一色で育ちました。漁師だったお祖父さんと一緒に3歳から釣り船に乗ったそうです。小学校の同級生に宮内省幹部で御用邸の留守役を務めたご家庭のご子息がおり、親しく遊びました。「御用邸に風を通す日」には、御用邸敷地内を駆け回って窓開けのお手伝いをしたそうです。打鯖地区での思い出を語っていただきました。
打鯖地区での少年時代
「打鯖」という字名は、すぐそばの小磯の岩場に鯖がたくさん打ち上がったことに由来して、江戸時代に付けられたと聞きます。小磯からの一本道、漁師たちの背負い籠からイキのいい鯖がぴょんぴょん跳ねては道端に落ちたものだったよ。「おじさーん、魚、落ちたよー!」って声をかけても、「うるせ〜拾っとけ!」という具合に、漁師もいちいち拾わなかった。それくらいたくさん獲れたのだと思う。仕方がないから、子どもたちが拾って家で煮たり焼いたりして食べました。
漁師の家の食卓
漁師だった祖父は、ワカメやヒジキといった海藻採りや伊勢海老をとるエビ網漁をやっていました。エビ網は夜に仕掛けて、朝一番で網揚げに行く。伊勢海老はツノが折れると売り物にならないから、朝ご飯に茹でた伊勢海老をよく食べさせられました。朝からそんなに食べられないよと言っていたのを覚えています。おばあさんが小学二年生で亡くなるまで、朝の食卓に伊勢海老があったかな。ワカメの味噌汁も旨かったねえ。酢の物とかね、柔らかくて、いいワカメだった。東京の料理屋から注文が入ったりしてね。ヒジキは季節の野菜、春なら人参や竹の子と煮てね、旨かった。砂浜に埋もれるように生えるハマボウフウは甘酢で食べたよ。
当時、たくさん獲れたイカは、洗い桶に何十杯と入れて塩辛にして売ったんだけど、漁師の家でしか食べられない珍味があってね。カツオの塩辛、これは特別に旨い!カツオの腸を割いて、中の黄色いのを刮ぎとって腸だけを塩漬けで3ヶ月寝かせる。これは売らずに親戚に分けたり、自分たちで食べたね。
小ちゃかった頃、漁に出るお祖父さんについていくと、危ないからって一日、船の先に縛られるんだよ。でもね、船にいると食うに困らない。炊いたお米と味噌、塩、醤油、釣れたての魚がある。鯵を味噌と叩いて、もちろんショウガも持って行ってね。これが旨いんだ。ショウガは家の畑でお母さんが育てていたかな。畑は一色の山の方で、お母さんがずっとやっていました。おやつも昔は全部、お母さんやおばあさんの手作り。餅も自分でついたし、小豆を炊いて餡子も作りました。サツマイモを刻んで干して、カリカリになったのを貯蔵しておく。食べるときに甘く煮ると、溶けてサツマイモの餡子になるんだよ。お餅につけて食べると美味しい。たくさん食べたね。
少年時代の遊びも釣り三昧
小学生の頃は、海や川で釣り遊びをしましたね。竹竿に仕掛けをつけて、夕方の5時〜6時半くらいの時間帯にはイカがよく釣れた。一番釣れたのは5、6月だったかな。下山川で鰻も釣ったよ。当時は御用邸の川だから養分が流れているって言ってね、あそこの鰻は最高だった。紐をつけた竹の先に大きな鉤と餌をつける「穴釣り」という方法で獲る。餌は生きた大きなミミズじゃないと食わないんだ。穴に鰻といっしょにモクズガニが住んでいるから、モクズガニを獲らないと鰻が獲れない。だからどっちも獲るんだけど、餌を食った時のヒキの違いでどっちかわかるんだよ。モクズガニが餌を食うと、ガリガリって音がして響きが違う。鰻が食ったとわかったら、ぐうっと引きつけて、鰻の頭に紐をぐるぐるっと巻きつける。すると鰻が暴れて腕に巻きつくから、網のなかで鉤を外したね。穴釣りに行くと、だいたい3、4匹は獲れたから串焼きにしてね。親父なんか一杯呑んで、最高だよ(笑)。一緒に獲れるモクズガニも意外に旨いんだ。親指くらいの太さの脚に毛がいっぱい生えているんだけど、茹でると旨い肉が詰まってる。中学生になったら勤労奉仕で忙しくて、釣りなんかやっていられなくなったね。
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