葉山を継ぐStory

山と生きる 秋谷に幕末からつづく竹屋さん

新倉 豊一さん

横須賀市秋谷・昭和20年生まれ

新倉家は江戸幕末から「木こり」の家系で、豊一さんのお祖父さんまでは木挽きとして、初代から竹屋となって山に入ってきました。二代目竹屋として生きてこられた新倉豊一さんに、人々の生活が大きく変わった昭和を振り返っていただきました。

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お正月の門松づくり真っ盛り。2代目の豊一さんと奥さんの富子さん、お嫁さんの恭子さんが門松の土台となる樽を囲み、稲藁を巻きつけてイグサで束ねる作業中。息を合わせ、樽の周りを移動しながら小気味良いリズムで仕上げていきます。「この時期だけは仲良くないとねえ〜」豊一さんの言葉にどっと笑いがおこります。

秋谷の竹屋さんがみた暮らしの変遷

 江戸幕末から木こりの家系で、祖父までは木挽き、父の代から竹屋と代々山に入って仕事をしてきました。修行をしたことはありません。25歳ごろまでは、山へ入って材を市に出す仕事をしていたかな。そのうち山がなくなって、だんだん竹を扱うようになりました。
昔はね、竹といえば農家か漁師。「かごや」、「おけや」、「鍛冶屋」があってね、漁師さんや農家さんの道具を竹や木で作っていました。杉は柱材、松は梁など建材として地産地消されて、定置網や生簀だとか漁具にも竹が使われた。野菜を出荷するのも段ボール箱がない時代は全部、竹籠。「トマトの手」、「きゅうりの手」、「西瓜の手」、「豆の手」って言って、苗木の支柱にもなったね。気候が温暖な葉山では、住宅の壁を厚くする必要がなかったから、細い女竹を割って格子状にして泥壁の芯材に使ったり、地元の竹を無駄なく活用していた時代がありました。
 「竹の春」って知ってる?他の木が葉を落とす秋、竹は新芽を出す。つまり竹にとっての春。この時期は葉が閉じて根から水をあげないし虫も来ないから、いい竹材がとれる。昔は、福島からも若衆が寝泊まりに来て、大楠山や三浦、葉山の葉桜にも竹刈りに行ったね。三浦海岸の松輪では、定置網漁だったから桶需要が高く、桶修理の店もありました。佐島では巾着網でイワシを獲り、竹の生簀に入れて生かしておき、卸すときにバケツ一杯ずつ出荷していたから、桶需要があまりなかったんじゃないかな。三浦海岸は隣接する地区でも違った漁法で獲ることがあって、それに合わせて道具も全部違った。長井あたりでは、鯛を船べりで釣る「野釣り」(滑りのいい竹棒にテグスを滑らせて釣る漁法)をした。昭和40年代、まだオート三輪で配達していた時代は、おけやさんがあったかな。50年代にはなくなっていました。一番最後のおけやさんは、漁の箱めがねの修理をされていました。金物だと錆びちゃうから、竹のタガ(竹ひごを編んだもの)を使っていました。プラスティックのない時代、竹か木で作るしかない時代で、おけやさん、かごやさんはとても羽振りが良い時代でした。

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